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デキル君の決意

先日デキル君からメールが来ました。
この内容、皆さんはどの様にお感じになりますか。



4日連続で鼻血出したり1週間毎日カップめんだったりするけど

僕は元気です。


日本語はもう絶対無理だから捨てる。

うちのクラス4人以外評定1とかフザケテル


卒業は何とかする。





日本語とは、一般の国語の教科の事ですが、
この教員に当たる生徒は、このような悲しい運命を背負います。

このメールは、単位をなんとしても出してくれない教員に対する、
彼らの怒りでもあると感じています。

これが、現実に起こっている本当の話だから、
もっと本当の意味での教育者としてのあり方を、そして子どもの人生の大切な問題を、
しっかり学校も考えていただきたく、感じています。
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by futoukou | 2010-02-28 18:47 | 私のうちのお話 あれこれ

不自由からの脱皮

一年ダブって、もう少しで進級という子が、
今、道を選択しようと考えています。




そこには、進級の為に学校から与えられた、
なかなか進まぬ 課題 というハードルがありました。

頑張っても、前に進めない葛藤。

やる気が無いわけじゃないのに、

どうしても、出来ない。

その子のせいではないのに、

一昔より厳しくなった学校の制度が、

その子の人生を縛っていきます。



そんな中、自分で本当にしたい事が見えてきて、

その為には、すこし回り道になるかもしれないけれど、

学びたい学問が出来ました。

それは、高校では手にいれられない事なので、
退学をしてまでも、学ぼうと前向きな姿勢でした。


その子には夢があります。
就きたい仕事があります。
だけど、そのお仕事に就くには、
大学卒業資格が必要です。

それでも、今可能な範囲の選択肢で、
自分からサナギの殻を脱ごうともがいています。

大好きなお母さんも、
こころ強いサポーターになってくれたそうです。


この先、本当の意味で
彼女は思春期の苦しみから 卒業 できるだろうな、と、
精一杯その子を見守っていきたい、と感じました。


やる気があるのに、出来ない子をなんとか救えないものか、
本当に悲しい事がここ数年多くて、

本来、自由に学べる環境のはずだったのに、
どんどん不自由に変化していってはいませんか…。


尾崎 豊『卒業』を、あなたの為に贈ります。



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by futoukou | 2010-02-28 08:49 | 自己受容への歩み

アーサー・ヤノフ 原初からの叫び 読んでます。

ものすごい情報をもらいました。

国立図書館から借りられるとの話で、
早速、予約をいれてから約2週間くらいして、
やっと手元に届きました。(*^_^*)

といっても、国立図書館の本は、1冊しかないらしく、
コピー及び持ち出し禁止で、
図書館内のみでしか、読むことができません。
写メ禁止とは書かれていませんでしたので、
一枚だけひっそりと撮らせてもらいました。(結構ドキドキでした *_*;)
管理は厳重のようです。(-_-)



なかなか図書館に通う時間が取れなくて先に進みませんが、
のんびり読んでます。


内容は、ものすごくテンコ盛り
その中のほんの一説。



  【神経症とは何か】

*抑圧された要求のはけ口*

神経症は感情の病気の一つである。
その中心には、感情の抑圧があり、
抑圧された感情がさまざまな神経症の行動に変化する。

神経症とは、耐えがたい心理的な苦痛からのがれる為の象徴的な行動である。
象徴的な満足は現実の要求を満たしてくれない。
したがって神経症は長く尾を引く。
現実の要求はまず感知され経験されて、はじめて、満たされる。

自然なものすべての現実の要求である。
たとえば、自分なりのペースで成長し発達することがそうである。
愛されている子どもは、自然な要求が満たされている子どもである。
愛情がその子どもの苦痛をとりのぞいている。
愛されていない子どもとは、満たされていないために、傷ついている子どもである。
愛されている子どもは、けちをつけられた事がないので、ほめてもらう必要がない。
その子どもは両親の望みを満たす能力ではなく、ありのままの自分を大切にしてもらっている。

神経症とは、感情の病気である。

                    ☆ ★ ☆

上記は、この本の主訴となる神経症の障りの一部を転記したのですが、

どうして浮気するのか、
どうして同性愛になるのか
どうしてドラックにハマるのか

など、本当にありとあらゆる事の起こりが神経症をベースに、
事例とともに書かれているようです。
まだ全部読んでいませんので、途中までの感想。


本当に細かい字で、600ページ弱ある内容、
一週間に3時間ほどくらいのペースでいつまでかかるか。

しかも図書館の静けさの中で読んでいる心理学の本というのは、
なぜか眠気を誘う睡眠作用があり、

いつの間にか、あちらの世界~☆~☆~☆~☆~☆~☆~

眠気と格闘しながら、覚えておきたい個所を
せっせと手書きで書き写しています。

本当にこの手書き作業も、
原始的で、叫びたくなるんですよ。

ぎゃー って。

文明の機器がないと、いかに神経や時間を使わねばならないか、
読むより、はるかに理解できているみたいです(^^)/



この本の復刻の為の投票サイトがあるので、
もしよかったら、アーサー・ヤノフで検索していただいて、
投票してくださいね。

中古本は七倍くらいの高値で売買されているようです。
それも、めったに出ていません。
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by futoukou | 2010-02-27 20:53 | 私のうちのお話 あれこれ

すーさんの豊漁力

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昨年の事ですが、主催者のすーさんが、じもりの土曜講座・草木染めでバッグを染めました。
自然の色で、優しい色に染まっていました。
ポイントに絞りを入れたのが、成功したようです。本人も大満足。

まだ生地が乾いていない状態で、
どーお?どーお?といいながら、
当日のしゃべり場の参加者の方達にひらひらさせて、見せてくれました。




すーさんは、平日は小学生にお勉強を教えつつ、
土日は、子どもの為に多方面で活動してて、
とても心臓の薬を持ち歩いているとは思えないほどです。

きっと精神エネルギーが充実しているんですね(^o^)

それにしても、首から下げた一眼レフのデジカメが
日本人らしくて、みんなして爆笑です。

そんな事などまったく気にしないところが、
また持ち味なんですね。
ムードメーカーに和ませてもらっています。

主催者の中では、目立たない部分を
いつもさっさとこなしてくれる縁の下の力持ちで、
しゃべり場や講演会の際には、
大道具や、細かい事務をテキパキこなしてくれて、
すーさんは、みんなの母さんです。
内輪では、なんでも出てくるドラえもんとの異名も…(^^)/

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大海にさまよう大漁の悲しみを
投げ縄漁で捕らえる豊漁力は、漁師にも勝る事でしょう。

この草木染めのバックには、
私の苦しみを詰めて持ち帰ってもらいました。
私の苦しみが、バックの中で繁殖してたらごめんなさい。037.gif

ぺんぎんより。敬愛を込めて003.gif
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by futoukou | 2010-02-26 23:32 | スーさんの旅日記

不安の向こうに

不安。


不安の反対は

勇気だそうです。


反対側に光が当たるように、

祈ってるね。

                 ☆えーやん☆
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by futoukou | 2010-02-25 15:22 | のんびりで えーやん 

母線

子どもが安定するためには、親が不安定ではいけない。という事を、
何度かお話していますが、
今回は母線という事でお伝えします。

子どもの安全基地は「お母さん」という存在です。
子どもはそのお母さんである安全基地があるからこそ、
危険が沢山ある外へ冒険に出ていけます。

しかし、不安になったり危険な目に合うと、
また母のいる安全基地に引き返してきます。

外でいろいろな経験をつみ、
不安になっては引き返し、
安心して、勇気が湧いたら
再び、同じ行動を繰り返します。

年齢とともに、その行動時間は次第に長い時間になります。
この出たり入ったりの繰り返し行われる自立への行動が、
いわるゆ「母線」といわれるものです。


しかしそれは、母である安全基地があくまでも安定していなくては成立しません。

万が一 お母さんが安全な場所でなくて、不安だらけの危険地域であるなら、
子どもは外で不安と危険を体験し、
さて安全基地に戻ろうとしても、そこもまた不安で危険では、
子どもは、安心できる場所がどこにもなくなるのです。


これでは、子どもが安全地帯に対してこころを閉じ、
信頼を失うもとになっていきます。


お母さんがどんな時でも安全基地である為に、
ブレナイ度量が大変重要になります。

肝っ玉母さんって、とても素晴らしいものなのですね。
母は強し、といいますが、
お母さんが、か弱く頼りないうちは、
子どもも、そのような評価しかできないようですよ。
ほどほどの図太さも、お母さんには必要な技術なのですね。

その為にも、気の合う方がいる方はどんどん外でストレスを出してくださいね。
また、孤独な方で、動けないでいる方は、
とにかく「風のとおり道」で発散してみてください。

いつか必ず出会うべくして出会う、共感を持って話が出来る仲間が、
目の前に本当に突然現れますよ。(*^_^*)
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by futoukou | 2010-02-21 22:46 | 自己受容への歩み

不登校の改善対策法

さて、前回の続きを私なりに整理しながら、お伝えしたいと思います。
記載した事がすべてではなく、かいつまんだ形で記載しました。

また、あくまで私が学んできた事のみの記載という事をご了解ください。




【不登校にしないために・なってしまった場合の策】


1・その子の状況を認めてあげる。

2・その子が理由があって行けないという“原因ときっかけ”を、理解する。
  どんな子でも、不登校という二次障害になる前には、
  必ず、行けなくなるような『きっかけ』があります。
  ただし、『きっかけは不登校の原因ではありません』
   
3・親自身が元気になれるように、意識する。

4・親の思い通りに行動できたからという事で物質的、金銭的なご褒美をあたえない。

5・親の思い通りに行動できなかったからという事で、物質的、金銭的な罰を科さない。

6・励まさない・激励しない⇒焦らすと意欲を失ってしまいます。

7・こどもと一緒になって悲しまない。
  共感の言葉かけをする⇒(●●ちゃんは悲しいんだね。辛いんだね。)
  同情はこどもの支えにはなりません。こどもの辛い気持を理解し、
  お互いに尊敬できる関係をつくる事が大切。

8・こどもを無条件に受け入れる。

9・相談されたら、可能な限り相談にのる。
  ただし、親が答えをださずに、まずこどもに考えさせる。
  親子で共同で考えるという、親子の共同の課題という事になります。
  子どもへの対応は⇒ あなたならどうする? という聞き方で、本人に考えさせる。



【ADHDがある場合の不登校にしないために・なってしまった場合の策】



1・その子の状況を理解し認めてあげる。

2・障害が元で、
  ・興味のある事には集中するのに、興味が持てない事にはまったく集中できない。
  ・危険に対する注意力散漫
  ・忘れやすくて困難が多い
  ・暴力的な行動・かんしゃくがある、などの
  “集団行動の協調性が難しい障害である”という事を念頭に置き、
   不適切な行動はわざとしている事ではなく、本人も困っていて辛いという事を、
   親自身が理解し、きっかけとなるような状況にしないように、
  担任や、仲の良い理解してくれそうな知人に理解・協力をお願いしておく。
  
  障害はあくまで原因の一部です。
  障害があるからといって、必ず不登校の原因にはなりません。
  
  不登校という二次障害になる前には、
  必ず、行けなくなるような『きっかけ』があります。
    
  完璧思考の厳しいしつけの中で辛い境遇で発生した自己受容の低下は、
  障害と関係なく原因になります。
  また、障害が周りとの不調和を生み、
  いじめなどによって不登校のきっかけとなります。
  
  障害に関わる、改善できるものに対しては、
  きっかけが出来ないようにあらかじめ周りからの支援・配慮がとても必要です。
  
3・親自身が元気になれるように、意識する。

4・約束・ルールという枠組をつくり、
  決まりが守れたら物質的、金銭的なご褒美で達成感をもたせる。

5・約束・ルールという枠組をつくり、
  決まりが守れなかったら物質的、金銭的な罰を科す。
  ⇒すべてにレールを引いて走らせるという事ではない。

6・励まさない・激励しない⇒焦らすと意欲を失ってしまいます。

7・こどもと一緒になって悲しまない。
   ⇒同情はこどもの支えにはなりません。
    こどもの辛い気持を理解し、お互いに尊敬できる関係をつくる事。

8・こどもを無条件に受け入れる。

9・相談されたら、可能な限り相談にのる。
  ただし、親が答えをださずに、まずこどもに考えさせる。
  親子で共同で考えるという事になります。⇒あなたならどうする?

10・やっていい事と、いけない事をしっかりと教える。
   感情のコントロールを上手にできるように支援する。

11・時間や、片づけの方法、日常生活での自立行動の管理が出来るように支援する
  (朝おきたら、朝食・洗顔・着替えなど次になにをするのかわかりません。
   手順を書いた紙を張っておき、自分で管理できる環境をつくってあげる。)

12・ADHDに理解のある、特別クラスがある学校を選ぶ。
   ・教室内にはポスタ-、金魚鉢など刺激となるようなものを置かない。
   ・色はあまり使わず、気が他にそれないような室内環境をつくる。
   ・静かな環境で精神的に落ち着ける状態を意識的につくってあげる。
   ・ルールを確立する。
     (ルールをわかりやすい場所にはる。なるべく日課を変えない。
      予定変更の場合は前もって何度か予告する。)
   ・幼児期であるならば、自由な環境の園を選ぶのが好ましい。
    ただ適度の枠があっほうが、スムーズに小学校へ移行しやすい。

注※ 著書の中に、理解のある学校として
   『自由の森学園』の校名が記載されていましたが、
   自由の森学園にはそのような特別クラスはなく、また特別な対応もありません。
   私たち風のとおり道では、常々教員に対して働きかけは行っていますが、
   残念ながらすぐに改善される状況ではありません。
   
   ただし、発達障害の生徒がいる事は間違いなく、
   健常者と同じ環境で学習をしています。
   それでも、環境をみると、必ずしも適切とは考えにくい事もあります。
   学校としての理由は、生徒・ご両親が障害であるという事実を理解された上で
   公表されないと、
   プライベートな問題という事もあり、
   学校側からの対応ができないという事情があるそうですが。

   障害は恥ずかしい事ではありません。
   いい環境をつくってあげる為にも、
   自信をもって外部に働きかけていけるようになれたらいいですね。
   応援しています。

※参考資料※

☆ ヒューマンギルド・愛と勇気づけの親子関係セミナー(SMILE)テキストから

☆ のび太・ジャイアン症候群2
ADHD これで子どもが変わる/著者 司馬 理英子(司馬クリニック医院長)から


スマイルの講座は地域のいろいろな所で開催されています。
不登校に理解のある指導者で、
さらに同じ境遇の方々との受講を念頭におかれた人員配置の教室を選ばれる事で、
内容がより明確になります。
ご興味のある方は、適切な教室をご紹介させていただきます。
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by futoukou | 2010-02-19 11:12 | 自己受容への歩み

すべてはある状態からの二次障害が不登校の原因

    すべてはある状態からの二次障害が不登校の原因


不登校とは、自尊心の低下が招いた結果の二次障害であるという事は
すでにいろいろな本やホームページなどで発表されるようになりました。

だから、自信が無いことに対しては、
これ以上自分が傷つくことが分かるので不安になり、
自分の自尊心を無意識に、もしくは意識的に守るために、参加しない、
またはできなくて、
自信がある事には積極的に活動してみようと考えられる事が可能なのだと私は考えています。


たとえば、頭の固い教師は、『授業は欠席するのに、運動会や遠足はどうして朝から起きてこれるんですか。それは、我がままでしょう。』と、マイナスの評価として映る。
そういう教師は、
自分が傷ついて苦しんだ思いの経験がないのか、または共感力の欠如。
もっと学んで頂きたいものだと感じています。




さて、不登校になる前を思い出してみました。


あくまでも我が家の場合ですが、
まともに成長してもらいたくて、
相当細かくしつけ過ぎていたと感じています。
それは、公園デビューから始まり、
お母さん方が話す他人の子の批評・評価の親としての成績をつけられ、
あの子はしつけ方が甘いだの、性格が悪いだの、
だれかの噂ばかりの毎日にうんざりしていました。

あるお母さんのお話ですが、
そのようなプレッシャーからでしょうか。
わざわざ人前で子どもを怒鳴りつけ、
みんなに聞こえるように叩いてしまう方もいました。
『私だって一生懸命しつけているのよ!』という冷たい視線を送る人への叫びなのでしょうね。
今思えば、私も似たようなものでした。


これが、子どものこころから自信と自尊心を奪いとり、
子どものしつけよりも早いスピードで、不安の塊ばかりを育ててしまったと感じています。
これが、不登校への一次障害。
過剰なしつけこそ、最初の原因の場合があります。


また、発児障害、特に見た目にはわかりにくいADHDに関して感じる事ですが、
上記の健常児の環境と同じ状況で、
健常児と同じ育児の枠にはめようとして、
不登校児をつくってはいまいか。という事です。

この障害の場合、幼児期から元気がよくて目が離せない
などの育児での苦労があり、
知り合いや相談所で相談してはみるものの、
子どもなんてそんなものだ。と言われてしまい、
発見が遅れがちになりやすいようです。

障害である事への理解のないまま、
家庭の厳しいしつけや公園のママ友達のみならず、
さらには、学校の担任や他の保護者からも、
冷たい共感欠如の被害を受けているという事ですね。


健常児と、一見わかりにくいADHDの不登校では、
ベースになる一次障害を生む問題は、まったく同じだという事がわかりました。
(ここでは書き込みませんが、他の発達障害でも、同じだと思います。)

このようにして、自己受容の低下してしまった子達が、
悲しみと不安と無理解で、
二次障害の不登校へと向かっていくのだとわかります。




ではどうしたら二次障害である不登校を克服する事が可能なのか、という方法ですが
健常児とADHDの子では同一方法であるものと、
目からウロコの、正反対の方法をしなくてはならない事があるという事がわかりました。
その方法は、決して健常の子にはしてはならない約束事でした。

具体的にはまた今度(^o^)丿



 *ADHD障害についての参考文献
『ADHD これで子どもが変わる』主婦の友社・著者 司馬 理栄子(司馬クリニック院長) 
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by futoukou | 2010-02-15 11:58 | 自己受容への歩み

枯れ木がしなる。

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今年は、長男の卒業式。
洋服でも買おう(*^_^*)と思いきや…
相変わらず買えないのです。
何をみてもまだ、私の中にお洒落するまでの
昔と同じような元気がなくなっている。

不登校全盛期には、おそらくみなさんも同じ状況ではなかったでしょうか。
食事のメニューが決められないとか、
いろいろ自分ではどうしていいかわからなくなって。



頭の中は、不登校一色。



現在の私は、その時と同じ心理状態………?

いえ、違うのです。
その答えは、自由の森の中学校の入学式の思い出のトラウマ。

デキル君の付き添いで、
私は一般的なごく普通のスーツを着ていって
顔から火がでるくらい、とても・とても・とても、目立ってしまいました。

周りの父兄を見渡せば、普段着に少しだけ毛が生えたくらいのお洋服。
スーツなんて一人もいなくて、
人によっては、本当に普段着。

『ありえない…(~_~;)』
『わからない…(・・;)』
『普通じゃない…(*_*;』

という恐怖の、ちゃんとしちゃって恥ずかしくなった過去があるので、
卒業式は何を着ていけばいいのか、
わからないのでした。002.gif

今の高三の、中学入学当時のメンバーは、第一子目という子が殆どいませんでした。
父兄は、自森が二人目、三人目のような、
超・自森慣れした、自森色のこころの方が大多数だったわけで、
私には刺激が凄過ぎて
ちゃんとしてしまう自分が、浮きまくっていました。


それは、ある意味では
私が周りに振り回されていて、
本来の自己表現が出来ていないという証拠でもあるんでしょう。
『自分の好きなようにしていい』と言われて不安になるのですから。

やれやれ思考は、固すぎて しならない枯れ木状態 です。
6年前の私だったら、
無理やり曲げられたら、とげとげにささくれ立って
ボキッと折れていたでしょうね。
ただ、当時のクラスの父兄はさすが大人ばかりでした。
((^o^)丿 沢山、甘えさせていただきました。)

枯れかかった木に、常に水と栄養剤を注いでくれて、
かさかさの “わたし”を蘇らせてくれるのがわかったのです。



今日、そんな服の事で悩んでいたら、天からの声が聞こえてくるようになりました。


迷うなかれ。あなたが着たい服を着ればいいのよ。
ただし、あくまで主役は生徒なのよ。



この天からの声が理解できた事こそ、
自森で柔軟さを訓練させてもらった証しなのかもしれません。

枯れ木でも、まだ、しなる弾力は残っていそうです。
かくして、私が手にしたのは、
新しい服では無く、

『ありえない…(~_~;)』
『わからない…(・・;)』
『普通じゃない…(*_*;』

家にある洋服。しかも普段着。


『これで、じゅうぶん。』

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by futoukou | 2010-02-12 19:20 | 私のうちのお話 あれこれ

あなたへの存在への感謝

“愛”には沢山の種類があります。

男女の愛

友への愛

親子愛

自分への愛

子どもへの愛

家族愛

そして、受け入れる愛

また、求める愛

どの愛も、素晴らしい暖かさがあります。

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先日の『風のとおり道』では、
このいろいろな愛が溢れていました。

現在は学校をやめてしまい、
他の学校に転校した子のママさん達が
お越しになってくださり、
各自、今の状況をお話してくださいました。

すでに学籍はなくても、
仲間を求めて不安な気持ちを吐き出しにいらっしゃってくださる方や、
進歩をお話に来てくださる事に、
私は“人が大好きでいる自分”に、自信を持ちました。

絆が途切れないという事が、なんてすごい事なんでしょう。
感謝とともに、感動があふれました。



私の人生の中でも、何度も人間でいる事が辛くて、
人間の汚さをみる度に、卑しい存在に嘆いた事もあるのです。


卑屈になりかかる度に、私の前にこころが輝く人が現れ、
私はその生きざまを観ているだけで、
自分の卑屈さに気付き、
再生しながら今までを生きてこられました。

今の私の存在があるのは、 
私に輝き方を身をもって見せてくれる、
周りの方々のおかげなんですね。

『人はなんの為に生きているのか』という疑問について思う事は、
『人は、役割があって生まれ、生かされているのだ』という事が本当であるならば、

私の問題のみに言及しますと、
私の周りにいる方々は、
私の人生の為に、とても必要な存在なワケですね。

だからと言ってみなさんが、
私を意図的に喜こばそうとする必要なんて、まったくないのです。
なぜなら、
みなさんの、その、存在があるだけで、
私にはものすごい影響力があるのですから。
ありのままのあなたの存在自体が、私には最高に宝物なのです。

私がどんな状況でも頑張れるのは、みなさんの存在のおかげです。
みなさん、いつも愛をありがとう。

愛は無理して押しつけなくても、伝わるんですね。
私はいつも勉強させていただいています。

ここでは、あくまで私個人に言及した話で書き込みをしましたが、
すべての命に、必ずみなさんの存在が
素晴らしい影響を与えている事と、思っています。
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by futoukou | 2010-02-08 08:21 | 自己受容への歩み

不登校・引きこもり・ニート問題を考える


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